ショーペンハウアー
1788‐1860。ダンツィヒ生まれのドイツの哲学者。ゲッティンゲン大学で自然科学・歴史・哲学を学び、プラトンとカント、インド哲学を研究する。
主著である『意志と表象としての世界』(1819‐1844)を敷衍したエッセイ『余録と補遺』(1851)がベストセラーになると、彼の思想全体も一躍注目を集め、晩年になってから名声を博した。
ショーペンハウアー『読書について』の要点解説
本を読むとはどういうことか?どう読むのか?何を読むか?
本書は、読書家であり歴史に名を残す作家のショーペンハウアーが書く知的読書法です。
悪書は時間と労力の無駄
悪書は知性を毒し、精神をそこなう。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。
なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから
p146
ショーペンハウアーの主張はいたってシンプル。現代において一般的に「読書」というとそれだけでプラスのイメージがありますが、悪書を読むことは知性を毒すると言います。
読書のデメリット
読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。
それは生徒が習字のときに、先生が鉛筆で書いてくれたお手本を、あとからペンでなぞるようなものだ。
p139
この例えは、読書について言い得て妙、まさにぴったりの表現。
他人の考えを借りることができるのは読書の大きなメリットですがその反面、自分で考える機会を逃しているデメリットがあることも事実です。
そして、本書では読書のデメリットのほうにかなりフォーカスされています。
名著を読むべし
「読書」がプラスのイメージしか持たれていないのは、本に対して誤った前提があるからです。
学問はたえず進歩しており、最新の本には過去の知見が反映されているという誤った前提のもとに、最新刊にそそくさと手を出すのはひかえるべきだ。
先人のすばらしい本が、悪しき新刊書に駆逐されることがよくある。
p37
本を出版するというのは基本的にビジネス、つまりお金目当てに書き散らかした本が新たに作られ続けてるということです。であれば、時代や国境を超えて読み継がれる「先人のすばらしい本」を読むべきです。
現代人は毒される知性がそもそもないと思う
僕はテクノロジーが進化していくにつれて、人ってバカになっていくと思っています。ここで言う「バカ」というのは、物事を自分の頭で考えられない人のことです。
例えば、カーナビを信じて車ごと海に突っ込んだ日本人旅行者がいたのがいい例です。「カーナビが行けるっていうんですよ。ずっと同じ道を示していたので、コースどおりに運転してたんです」
ショーペンハウアーが生きた時代(1788‐1860)の人たちって、インターネットなんかないわけで、情報収集の方法って本だったり新聞だったりで、いずれにしても「文字」を読んでいたはずなんですよね。
現代では、約半数が月に1冊も本を読まないと言われているほど、人が文字を読む習慣がなくなっています。
ショーペンハウアーは「悪書は知性を毒し、精神をそこなう。」と言いますが、文字を読まない現代人は、そもそも毒される知性が備わっていないと思うんです。
自分の頭で考えよう
大切なのは、自分の頭で考える力を養うこと、オリジナリティのある思考を持つこと。
「読書」を代表するその他の情報も含め、それらは自分で考えるための手段です。だとすれば、「多読した」という自慢がいかにバカげているのかすぐにわかるでしょう。
あなたは、なぜその仕事をしているのか?なぜ結婚して子供を産んだのか?
あなたは自分ではなく、「他人」や「世間の常識」に振り回されて自分の人生のあり方を決めてしまってはいないだろうか?
自分の頭で考える力の有無というのは、自分の人生が生きられるかどうかでもあると感じます。
ちなみに、こういった人生のあり方について、ショーペンハウアーの『幸福について』に書かれている内容に通ずるものがあります。
ぜひセットで読んでみてください。
